円密院の歴史 

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東光山明王寺円密院と号する天台宗の寺です。

開創は、嘉祥2年(849)慈覺大師の東国巡錫の途中、当地楯の台に小祠を

建立したのに始まります。

 

鎌倉時代初期、源頼朝公が鹿島神宮社参の帰路、船で霞ヶ浦を渡ろうとした所、

突然の大風により、当院の近くまで流されてしまいました。

風が止むまで、当円密院で休息されたという事です。

上陸した場所を、最近まで江戸崎町大字古渡字鎌倉河岸という字名(あざめい、住所)

呼んでおりました。

 

 南北朝期、この地には無縁談所があり、権現堂や毘沙門堂の別当として祐海や

什覚が当院の基礎を形成しました。

什覚の後は覚叡−良尊−孝尊−勝尊−と受け継がれ、信太の庄の地頭となった

高氏、上杉氏、及び上杉氏の代官土岐原氏の保護を受けて存続してきました。

しかし南北朝の兵乱により、楯の台にあった伽藍は焼失してしまいました。

その後、貞治2年(1363)覚叡代に現在地に大刹を建立し、信太庄や東条庄に

於いて、天台密教の中心寺院として栄えました。

 

戦国時代に入り当地は、京都の東寺領に、あるいは禅宗寺院の影響下に置かれたり

有為転変の時代を経てきました。

江戸時代 慶安2年(1649)には徳川家光公から寺領10石の御朱印地を

安堵されました。しかし弘化3年(1846)10月、当地を大洪水が襲い、その際出火し

全焼してしまいました。時代は幕末に入り、ついに再建を断念。

その後は、円密院の下寺の西善寺庫裏を、庫裏を兼ねた本堂としてきました。

八十五世二瓶良啓師の尽力により、昭和49年、ついに念願の本堂を再建することが

できました。